何しろ、NHKのラジオ英語会話という講座でしか英語を聞いたことがなかったもので、生の英語に接して度肝を抜かれたというのが本音
のところだ。このころまだ、英語を話すこと自体に臆病で、英語を口にすることの気恥ずかしさもあって、思ったことを何も伝えられない自分がいた。
後になって気づくことになるのだが、完璧な英語でなければ話してはいけないという観念が我々日本人に根付いているように思う。間違いを気にせず、何でも話してみることが進歩につながるのだ。
英語を習いたてのアメリカ在住のメキシコ人の英語を聞くとその無茶苦茶ぶりがわかる。彼らは生きるために体裁など気にしてはいない。手段選ばず兎に角相手に自分の意思を伝えるのに必死だ。文法なんてくそ食らえ!といわんばかりの勢いがある。
初めてのアメリカ出張で、ラスベガスに滞在し、そこからボストンに向かう。関連会社が主催するセミナーに参加するのが目的だ。セミナー初日に聞く英語のスピードは速い。全く耳に入ってこない。2割も理解できないから全体を通して何を言っていたのか皆目見当がつかない。
横に座っていた他の部署から参加していた同じ会社の先輩たちはほとんど理解しているようだった。
将来の自分もこの先輩たちと同じように英語を理解する日がくるのだろうか? 何としても、そうなりたいと願ったものだ。
初めてきたアメリカで、生の英語に触れ、「もっと英語を理解して、話せるようになりたい」できれば将来またこの大地を踏みたいと強く願って帰国の途に着いた。
それから、5年後に再び戻ってくることになるとは…この時は考えもしなかったのだが。。。